代表的な探検

安家洞 (あっかどう)

安家洞の概要

日本洞穴探検協会

安家洞平面図

安家洞平面図

洞口位置

岩手県下閉伊郡岩泉町大字安家字日陰161-1番地

洞口標高

290m(安家川からの比高+30m)

水平距離

20,002m

測線延長距離

23,702m

文化財種別

文化庁指定天然記念物 指定基準 地6・地3、指定日 昭和55年2月7日

安家石灰岩

安家洞を胚胎する安家石灰岩は、岩手県久慈市大川目から岩泉町有芸まで南北50km最大幅4km(久慈市と岩泉町の境界大月峠付近)の日本最大の石灰岩層である。また開発されていない唯一の大きな石灰岩帯でもある。安家洞はこのほぼ中間に開口している。石灰岩の年代は化石が産出しないので特定されていない。

概要

安家洞は安家石灰岩層の東端に位置し、安家洞のほぼ中央部には上に向かって165mの煙突状縦穴「山内新洞」がある。さらに空気の流れは人間の通過できない洞穴を山上に向かって流れ外界への通気口があることを示している。山上までの未解明部分の高さ140m。また、大きな地底空間を予見させるのは、奥本洞最奥部と西本洞側の地底湖である。奥本洞最奥部洗身の池から増水時には水流が流出し奥本洞を通り、西本洞側に流入する形跡が認められる。西本洞は増水時水没することが確認されている。しかし、全ての地底湖は自由表面のないサイホン状地底湖で潜水探検以外に通過方法が無い。この地底湖は龍泉洞と違い流れがないため、潜水すると濁りがひどく探検はきわめて困難である。今後の探検は、膨大な量の地下水を貯蔵している奥本洞南端と西側の地底湖を、どのように解明してゆくかが課題である。

これまでの探検

この洞穴は大穴、祝井沢の穴とよばれていたが安家地区の中心元村にあるためか、住民によりかなり以前から奥深くまで探検されていた形跡がある。住民の名前がかなり奥部に残されており、子供たちの遊び場だったとの証言もある。
外部からの初めての探検は、1951年岩手県山岳協会が「第一回安家鍾乳洞群探検キャンプ」として訪れたのが最初である。簡易測量の結果「洞が南東に伸びている」ことがわかり「八戸に通じる」という伝説は打ち消されたが、規模の客観的評価はできなかったため「大きな鍾乳洞」にとどまった。安家村(当時)村長中村行作は隊員に「日本一の鍾乳洞」と紹介していることから、住民が長い洞穴との認識を持っていたことが伺える。
1959年、岩泉を訪れていた龍泉洞学術調査隊(L吉井良三・日本洞窟地下水研究会)に、安家の玉沢儀輔・小根口林太が訪れ探検を熱心に要請した。「すぐ終わる」との話もあり半信半疑で安家郵便局長大崎栄の案内で入洞すると、予想以上の大洞穴であることがわかり、歩測により4700m以上という数値が得られ、日本最長洞穴と推定した。
1961年、長谷川善和のプロモートで日本洞窟地下水研究会と日本ケイビング協会が安家洞探検隊を編成し、探検測量を実施した結果、7650m(500分の1平面図作成)と長さが判明して、日本最長洞穴と発表した。翌年、日本ケイビング協会が地質、生物、地下水生物調査、補正測量を行い8000m+αとした。以後、日本の洞穴で安家洞を抜いた洞穴はない。
1968年~1970年日本大学探検部が安家洞煙突状縦穴山内新洞を探検し、50mを登攀し、煙突状縦穴と横穴に分岐し、さらに洞穴が続くことを報告した。
1971年盛岡グアノ会の入洞を最後に、1972年から元管理者が石灰岩採掘問題と借地権をめぐる裁判を理由に、1991年まで観光客以外文化庁の調査を含め一切の調査を拒否した。
1991年元管理者が裁判に敗訴し、排除され、安家洞開発有限会社(工藤勇吉代表)の管理となった。1992年9月からJapan Cavers ClubII(現、日本洞穴探検協会) により探検が再開され、2006年3月総延長23,702mと発表した。(文中敬称略)

この結果、

  1. 安家洞の水平距離20,020m、測線延長距離23,702mとなった。
  2. 山内新洞第5ホールを165mまで登攀し、地上迄あと140mに迫った。
  3. 地獄「姿見の池」から潜水探検し、長さ80m深さ18mのサイホン状地底湖を通過して、次の自由空間を発見。西南に伸びる洞穴も発見し、西側の未探検地域に洞穴が伸長する可能性を示した。
  4. 安家洞の最大の空間を擁する大規模な砂山連洞(1,528.9m)を発見し、さらに砂山連洞に続く瞬華洞(678.7m)が発見され洞穴が西側に広がった。
  5. 洞内各本洞(東本洞、西本洞、中央本洞、南洞)で未探検の多くの洞穴が発見され、安家洞の形状を大きく変えた。それを測量により具現化した。
  6. 二次生成物では日本最大のシールド(華雪1.7×1.5m)及び250個以上のシールドが130mの間に集中分布し、世界的にも珍しい群生例を発見した。また、日本第2位の高さ35mのフローストン(山内新洞聖天の滝)、ムーンミルク、ヘリクタイト群、ストロー群、犬歯状結晶群、ボックスワーク等貴重な二次生成物が発見された。

鍾乳洞における本・支洞の区分について

岸本和明

1.鍾乳洞内の洞穴の次数について

(1)洞穴次数の定義

洞穴次数(以下、「次数」という)とは、鍾乳洞内に存在する空間で、人が測量可能なものにつき、最奥部より(2)の方法で与えられた数値とする。なお、空間とは次のものをいう。
[1]水流により形成されたもの
[2]断層等の地殻変動で形成されたもの
[3]上記のものが混在しているもの

(2)次数の決定方法

Scheidegger方式を採用する。具体的には以下の定義に基づくこととする。なお、当該方式の場合、新支洞等が発見されたときは再度全ての次数計算をやり直す必要があることを付記しておく。

【定義】

次数の基本的性質は、2本のω次水流が合流すれば合流後は(ω+1)次になることから、
ω*ω=(ω+1) *:合流を表す
分配法則が成り立つためには、[ω*(ω-1)]*(ω-1)=ω*[(ω-1)*(ω-1)]
交換法則が成り立つためには、ω*p=p*ω
任意の次数ωは、それより低い次数の項の積であらわせるはずであり、
ω=(ω-1)*(ω-1)=(ω-2)*(ω-2)*(ω-2)*(ω-2)
=p*p*p*・・・・・・*p
=p*2ω-p
等々の過程を経て、論理的次数Xは、2X=2ω+2p=I

定義の出典:「河川地形」高山茂美著 共立出版

図例1

左図の図例では「18」→「12」とまでは定義できる。その先の次数は共に「6」であり、定義に迷うが、基本的には分岐点からの合計次数が高い方を本洞とするものの、事例では合計次数が同じであり、このような場合は洞穴の方向や規模等にて判断するものとする。
また、河川と違って洞穴の場合は洞口が複数あるような場合あり、その場合には本洞が必ずしも1本でないことも明確にしておく必要がある。

2.分岐の取扱について

分岐とは、「同一箇所より生じたものが途中から分岐し、その先で同一のものに合流するもの」と定義する。具体的には、次のようなものである。

図例2

上図のような形態においては、別洞穴とは見なさず同洞穴とする。従って、洞穴の次数は、同一のものとする。ただし、以下のような場合には、合流側の次数を一次引き上げるものとする。

図例3

3.支洞・本洞の区分について

支洞とは、本洞に連結している洞穴とする。本洞とは、「ホール」と「ホール」あるいは「ホール」と「出口あるいは洞口」を連結するもので、支洞の合流により、ホール間ルートで最高の次数を持つものとする。なお、ホールが存在しない場合は、最奥部から洞口間で次数の高いもの順に本洞として定義していくものとする。

4.本洞における最奥部の判断

本洞において、以下のような場合には、測量担当者等が客観的な判断において「本洞部分」を決定するものとする。

  1. 複数のルートで構成されている場合で、明確な最奥部が特定できない場合
  2. 最奥部のホールから同次数の支洞が複数あり、水平距離のほとんど同等の場合
  3. その他区別が不明確な場合

なお、地元の人々が過去からの伝承等がある場合は、その旨を反映させるよう留意する。

安家洞における本洞支洞の分類

上記に基づき日本で初めて河川法に準拠し本洞を下記のように分類した。
奥本洞 599m 山内新洞581m 東本洞1463m 西本洞1676m 本洞合計4319m。

※参考文献
1955年:
通産省仙台通産局 東北地方石灰石調査委員会 『東北の石灰石資源』
1963年:
小学館 ボーイズライフ8月号・長谷川善和 『洞くつの驚異』
1964年:
東都書房 須知徳平 『アッカの斜塔』
1964年:
洞窟研究会 伊藤良吉 洞窟Vol.2 No.15 『岩手県安家地区洞窟誌』
1964年:
立命館大学探検部 『探査NO.2 特集:あっか』
筑摩書房 山内 浩『洞穴探検』
1965年:
小学館 ボーイズライフ10月号 『安家洞探検』 ボーイズライフ編集部・早稲田大学探検部・工藤栄吉(安家中学校)
1966年:
日本ケイビング協会 『岩手県洞穴群学術調査報告書・1962』
立命館大学探検部 『探査NO.3 安家第2次第3次洞穴調査』
1967年:
関西大学探検部 水島 淳 踏査第5号 『安家洞窟群の生物と化石』
1968年:
岩波書店 吉井良三 『洞穴学ことはじめ』
1969年:
日本洞穴学研究所 『竜泉洞第五次調査報告書』
岩泉町・日本ケイビング協会・日本洞穴学研究所・愛媛大学探検部OB会 『自然とともに』 -越智研一郎追悼集-
1970年:
日本ケイビング協会 山内 浩 JAPAN CAVING 4号 日本の鍾乳洞めぐり北から南へ 『日本最長の安家洞』
日本観光文化研究所 大脇武昭 あるく みる きく 1970.9 NO.43 特集=地底の旅 私の旅15 『ある青年教師の言葉』
1971年:
盛岡グアノ会 菊池正志 『安家行』
日本ケイビング協会 事務局 『安家洞を保存しよう』 CAVING NEWS NO.5
日本大学探検部 『地底と樹海と氷原の世界に自らの生き甲斐を求めた男達の記録』 - 安家・青木が原・知床 -
岩泉町 『安家石灰洞穴群調査報告書・鍾乳洞測図集』
日本ケイビング協会 JAPAN CAVING 9号 ニュース 『日本セメント採掘せずと表明』 『安家洞保存署名運動報告』
1972年:
日本ケイビング協会 船木 實 JAPAN CAVING 12 号 アッカからの報告2『安家元村付近の地質をみて』
日本ケイビング協会 佐藤継郎 JAPAN CAVING 12 号 『安家洞天然記念物に仮指定される』
立命館探検クラブ 『りつめいたんけん5号 その活動の記録1960-1972』
1973年:
日本ケイビング協会 日本大学探検部 JAPAN CAVING 15 号 アッカからの報告5 『安家洞山内新洞事故報告』
日本ケイビング協会 JAPAN CAVING 16 号 アッカからの報告6 『無題』 高見沢孝 『暗涙の行』 森 国興
勁草書房 河北新報盛岡支社編集部編 『北上山地に生きる』 日本の底辺からの報告
日本観光文化研究所 平 靖夫・岡村 隆編 ―全国大学探検部による―『戦後学生探検活動史』
1974年:
JAPAN CAVERS CLUB ・THE AKKA SOCIETY - 第2次安家石灰洞穴群探検報告書・1972.12.20~1973.1.7
各務報告 渉外 菊池正志 『安家洞探検交渉過程』
山と渓谷社 磯貝浩編 ぐるーぷ・ぱあめ制作 素晴らしき地球 地底編 『たまたま発見された日本最長の鍾乳洞』
1976年:
岩泉町 広報 いわいずみ 3月1日 『町民が期待を寄せる石灰岩開発』
少年写真新聞社 徳富一光・片山満 写真資料全百科コスモ 第1巻第5号 特集 鍾乳洞の探検 - 地底の芸術を探る -
1977年:
学習研究社 監修山内 浩 学研 ワールド科学館 『地底探検』
1978年:
岩手県(財)東北経済センター
1979年:
講談社 山内 浩 『洞穴探検学入門』 『安家石灰岩地帯における自然環境の特質とその保全』
1980年:
筑波大学環境科学研究科・安家プロジェクト事務局 『生態系把握と住民参画に基づく山岳諸地域の活性化に関する比較研究』
通産省工業技術院地質調査所 『竜泉洞地下水調査報告書1・2』
1994年:
技報堂出版 日本地下水学会 『名水を科学する・龍泉洞湧水』
1995年:
講談社 『日本の天然記念物』
東京新聞出版局 阿部亮樹 岳人 1995年6月号 No,576 『私の安家洞探検記 地底のハードクライミング』
1996年:
大明堂 日本地理学会カルスト地域作業グループ 漆原和子編 『カルスト―その環境と人々とのかかわり』庫本他
「日本の洞窟一覧・安家洞10000m」
1997年:
NATIONAL SPELEOLOGICAL SOCIETY・Lamar Hires・UNDERWATER SPELEOLOGY Volume24 No.3 July/August 1997・『JAPAN 1996』
The International Technical Diving Magazine・Peter Thompson・morsel Volume2 No.2 SUMMER 1997・A Diver's Floating World・『JAPAN'S CAVES』
あっか洞研究会 『第一次・第三次安家洞探検報告書』
1998年:
マリン企画 菊池正志・神保幹夫 月刊ダイビングワールド 1月号 ナイトロックス活躍の時『地底探検・岩手県氷渡洞の謎を探れ』
1999年:
小学館 ビーパル3月号『キムコ玉川のアウトドア家政婦は見た』
2001年:
群馬県立自然史博物館研究報告 山内 正、稲垣雄二、Japan Cavers Club II、長谷川善和 『岩手県安家洞での新洞形態』

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